
2013年03月20日
死とやすらぎ
私が死に直面した時に、
テンプルビューティフルの光田さんから
頂いた本の中身を自分なりに解釈してみました。
やりたいことは全てやりきったほうがいい。
人間は死ぬ間際に、やったことに後悔する人は少ない。
それよりも、やらなかったことに後悔する。
90%の人は90歳を超えて人生を振り返ると、
もっと冒険しておけばよかったと思うそうです。
自分とは、いつかは死ぬ身である。
死を前にした時に(未来が終わるとき)、
後生大事にしていた大切なものは全て消え落ち、
いまのこの瞬間にある本心と出逢う。
この命、何に差し出そうか?
死があるからこそ、命の尊さに気づき、命の使い方に真剣になります。
完全な死を迎えるために、いまの一瞬一瞬を生きるのです。
これを考え抜く事が人生で最も大切な事でしょう。
いずれは自分も死に至る事が、
自分の腑に落ちた時に、
自分の本当の生き方や気持ちを理解するのです。
自分らしさを、
神から頂いた天賦の才能を、
発揮する事こそが、生きている証です。
人生最後の日に、どのような形で命を全うするのか?
それはいまの状態で、
このままの状態で、達成する事が出来るのか?
もし、できないなら、いつから変えて行くのか?
あなたの生き方を?
新しく生まれ変わるために、
いままでの古い自分は死んだほうがいい。
これまで縛られていた価値観や世間体などを終わらせ、
新しい自分としてスタートをはじめることです。
人は誰もが、
顕在意識では、私は死なないと思い込んで生きています。
いつも、明日があると!
もしかすると、今日という日が最後かもしれないのに。
一般的に人は明日があると思っています、
自分は来年も生きていると思っています。
それが当たり前にやってくると勘違いしているようです。
人生には何が起こるのか?全くわからないのに。
そのため人は、いつも起きている日常に対して感謝を忘れます。
毎日起きていることは当たり前だから。
死を見ない事は、
自分のありのままを見ないようにする事と同じです。
自分の決定的な嫌な部分に蓋をして生きているだけです。
ありのままを見ることをしなければ、
とうてい真理には出逢えないでしょう。
未来の自分は、あなたを見ています。
未来の自分は今のあなたにメタファーとして
なんどもなんどもメッセージを送ります。
「いまの生き方でいいのか?」と
もしあなたが、生きたいように生きていった場合、
多少の問題は増えるかもしれないけれど、
毎日毎日苦しみ悩んでいる、
頭だけで考えている空想や想像上の問題は、かなり軽減すると思います。
顕在意識で、
自分じゃない自分を創り上げ、偽った形で成功したとしても、
自分自身を、さらけだして、
失敗して、ありのままの自分で生きる方が、
断然カッコいいと思うし、
生きている充実感があると思いませんか?
「そんなこと無理だ」、と言っている自分に出会うと思いますが、
出来ないと言っているのは、限界を自分で作っているからです。
「死ぬ前に後悔しそうな事はなんでしょうか?」
「どのような制限を自分にかけて生きているのでしょうか?」
いつでもできると思っていても、やらない人が多いと思います。
それは毎日、明日があると思っているから。
やるならば、氣づいた、時こそが、
はじめる時の最高のタイミングでしょう。
死に至る時、得た物を、すべて手放す時が来ます。
携帯や財布を落としたら必死に探します。
自分の本心を忘れても、人は落とした事すら氣づきません。
目に見えない物は、わからないのです。
人は自分自身の事を良く理解していないのです。
人生最後の日を迎える時には、悩みは全て懐かしい思い出になるようです。
だから、今の悩みは、未来には確実に懐かしい思い出になるでしょう。
なのに、それに対して今は悩み苦しんでいるのです。
今のこの状態で、
これから何年間生きるのか?
そして、このままで、死んで行くのか?
目標を設定した、
心がときめく人生ならば、人はどんな苦労でも乗り越えられるはずです。
向かう先が見えたなら、いつかは必ず目標に辿り着きます。
楽しんで行う、
楽しいからこそ、必ず天賦の才能の芽が育つのです。
だから、人に決められた人生を言われるがまま、
努力する人よりも、楽しんでいる人の方が結果が出るのではないでしょうか?
人に言われて行う事は脳が不統合になりやすく、
とても疲労します。
自分が決めて進んで行う事は、脳が統合された状態であり、
いくら仕事をしていても回復します。
これらはキネシオロジーから学んできた事です。
この人生で生きて行くなら、
一番大切な物に命をかけましょう。
なんのために命を投げ出すのか?
我々はもともと無から生まれています。
何も持たずに裸で生まれてきました。
生きることにおいて失うものは本当は無いのです。
どうせ死ぬ時には何も持って行けないのですから。
冒険とは世間体で生きるのでは無く、
他人の目の中で生きるのでは無く、
自分の本当のありのままの気持ちで生きることです。
人生を冒険として生きることを考えたとき、
やりたいことを先延ばしにして、生きる人生って、
とってもつまらないと思いませんか?
ただ毎日生きているだけの屍ですよね。
出来ることをやるのは、冒険ではないようです。
ただ才能があるだけです。
たとえ、
「おまえには無理だ」
と言われ続けたとしても、やりたいと思うものに突き進む。
それが冒険、
やる前に出来ない理由と、あきらめる理由を全て捨てる。
人の価値観に沿って、世間体に沿って、夢をかなえたって、
それって一体誰の夢をかなえたのでしょうか?
しかも、かなえたらならまだしも、多少の満足感があるでしょう。
夢が叶わない場合が問題になります、
それは自分自身の夢ではないことがあります。
他人の言った、世間の言った
山をただ言われたように登っているだけです。
これでは、あなたが奇跡を起こす
天賦の才能が開く事は一生涯無いでしょう。
心の奥底から湧き上る本当の願いは心の声。
周りの影響から表面的に出てくる浅い願い。
どちらが多いでしょうか?
命とは、まさに時間なのです。
その時間を完了させる為のスイッチが、
死なのです。
このまま死んだように生きていていいのか?
一番大切にしたい事は何か?なぜあなたはそれをやらないのか?
自分だけが良ければいいのか?
もし、
もし、
今日が最後の日だとしても、
今からやろうとすることを、あなたは行なうでしょうか?
出来るなら毎日これを考えて頂きたいのです。
もし違うという答えが、何日も続くようなら、
生き方を見直したほうがいいと思います。
それは、あなたではないから。
人は一日に考えることの90%以上が前日と同じことであると知りました。
私のココ最近を見てみました、
驚くべき事に本当に前日と考えている事が90%以上でした。
常に変えられない過去に人は生きている事が多いのです。
命のかかっている、
大切な一日のほとんどを、
もう変えられない過去のこと、
起こるかどうかもわからない、
未来の不安にあれこれ頭を悩ませるのです。
頭(顕在意識)で、いつまでも考えすぎていると、
いま、この瞬間に来ている、
ユニバースからのエネルギー、情報、流れを見逃します。
これって、とっても勿体ないですよね。
頭を空にして、新しいスペースが入る用意をしておきたいですね。
今日が人生とのお別れだと思ったら、自分の事に精一杯です
嫌な人の事を考える事も無くなり、その方の事を少しは赦せませんか?
今日が人生の最後の仕事だと思ったら、
一生懸命に仕事に向かうと思います、
手を抜く事を考えないですよね。
今日が人生の最後だと思ったら、
伝えたいと思った正直な気持ちを人に伝えようと思いませんか?
いつもよりも穏やかになって、
感情のままに周りの人に言いたいことを言うことも止めるでしょうね。
常に今日が人生の最後だと思って、
生きていると、
あなたの振る舞いや行動が変わります。
人生を本氣で、自分に素直に生きるとき、
自分の天賦の才能を活かした夢に向かう時に、
あなたを本氣で支えてくれる人との出会いが奇跡のように起こるようです。
本氣で人生に向き合う時、
希望、勇氣、感謝、赦し、愛、
そしてやすらぎの気持ちが、自然に湧き上がってきます。
週末札幌に行った時に質問されました。
「慶太さんの夢は何でしょうか?」
私は答えました。
「家庭を持って、(静かに幸せに)暮らす事」
平凡ですね〜と言われました。
確かに平凡かも知れません。
しかしですね、私は、その平凡を知らないのです。
これこそが私の未知の世界なのです。
私も人生に大きなうねりを経験しました。
この夢を叶えるように瞬間を生きます。
今日は、このような奇跡発動ワークショップ開催です。
3月20日(水・祝) ・・・やすらぎを選択する ・・・
どんな状況でも、やすらぎは存在します。
やすらぎが、あなたの人生を素晴らしく向上させます。
今回は新しく始まった奇跡発動ワークショップの最終章、
大切な人生の為に、あなたのやすらぎの創作を考えて行きましょう。
http://www.kinesiology-seminar.com/3seminar/intro/tokiakasou.html
テンプルビューティフルの光田さんから
頂いた本の中身を自分なりに解釈してみました。
やりたいことは全てやりきったほうがいい。
人間は死ぬ間際に、やったことに後悔する人は少ない。
それよりも、やらなかったことに後悔する。
90%の人は90歳を超えて人生を振り返ると、
もっと冒険しておけばよかったと思うそうです。
自分とは、いつかは死ぬ身である。
死を前にした時に(未来が終わるとき)、
後生大事にしていた大切なものは全て消え落ち、
いまのこの瞬間にある本心と出逢う。
この命、何に差し出そうか?
死があるからこそ、命の尊さに気づき、命の使い方に真剣になります。
完全な死を迎えるために、いまの一瞬一瞬を生きるのです。
これを考え抜く事が人生で最も大切な事でしょう。
いずれは自分も死に至る事が、
自分の腑に落ちた時に、
自分の本当の生き方や気持ちを理解するのです。
自分らしさを、
神から頂いた天賦の才能を、
発揮する事こそが、生きている証です。
人生最後の日に、どのような形で命を全うするのか?
それはいまの状態で、
このままの状態で、達成する事が出来るのか?
もし、できないなら、いつから変えて行くのか?
あなたの生き方を?
新しく生まれ変わるために、
いままでの古い自分は死んだほうがいい。
これまで縛られていた価値観や世間体などを終わらせ、
新しい自分としてスタートをはじめることです。
人は誰もが、
顕在意識では、私は死なないと思い込んで生きています。
いつも、明日があると!
もしかすると、今日という日が最後かもしれないのに。
一般的に人は明日があると思っています、
自分は来年も生きていると思っています。
それが当たり前にやってくると勘違いしているようです。
人生には何が起こるのか?全くわからないのに。
そのため人は、いつも起きている日常に対して感謝を忘れます。
毎日起きていることは当たり前だから。
死を見ない事は、
自分のありのままを見ないようにする事と同じです。
自分の決定的な嫌な部分に蓋をして生きているだけです。
ありのままを見ることをしなければ、
とうてい真理には出逢えないでしょう。
未来の自分は、あなたを見ています。
未来の自分は今のあなたにメタファーとして
なんどもなんどもメッセージを送ります。
「いまの生き方でいいのか?」と
もしあなたが、生きたいように生きていった場合、
多少の問題は増えるかもしれないけれど、
毎日毎日苦しみ悩んでいる、
頭だけで考えている空想や想像上の問題は、かなり軽減すると思います。
顕在意識で、
自分じゃない自分を創り上げ、偽った形で成功したとしても、
自分自身を、さらけだして、
失敗して、ありのままの自分で生きる方が、
断然カッコいいと思うし、
生きている充実感があると思いませんか?
「そんなこと無理だ」、と言っている自分に出会うと思いますが、
出来ないと言っているのは、限界を自分で作っているからです。
「死ぬ前に後悔しそうな事はなんでしょうか?」
「どのような制限を自分にかけて生きているのでしょうか?」
いつでもできると思っていても、やらない人が多いと思います。
それは毎日、明日があると思っているから。
やるならば、氣づいた、時こそが、
はじめる時の最高のタイミングでしょう。
死に至る時、得た物を、すべて手放す時が来ます。
携帯や財布を落としたら必死に探します。
自分の本心を忘れても、人は落とした事すら氣づきません。
目に見えない物は、わからないのです。
人は自分自身の事を良く理解していないのです。
人生最後の日を迎える時には、悩みは全て懐かしい思い出になるようです。
だから、今の悩みは、未来には確実に懐かしい思い出になるでしょう。
なのに、それに対して今は悩み苦しんでいるのです。
今のこの状態で、
これから何年間生きるのか?
そして、このままで、死んで行くのか?
目標を設定した、
心がときめく人生ならば、人はどんな苦労でも乗り越えられるはずです。
向かう先が見えたなら、いつかは必ず目標に辿り着きます。
楽しんで行う、
楽しいからこそ、必ず天賦の才能の芽が育つのです。
だから、人に決められた人生を言われるがまま、
努力する人よりも、楽しんでいる人の方が結果が出るのではないでしょうか?
人に言われて行う事は脳が不統合になりやすく、
とても疲労します。
自分が決めて進んで行う事は、脳が統合された状態であり、
いくら仕事をしていても回復します。
これらはキネシオロジーから学んできた事です。
この人生で生きて行くなら、
一番大切な物に命をかけましょう。
なんのために命を投げ出すのか?
我々はもともと無から生まれています。
何も持たずに裸で生まれてきました。
生きることにおいて失うものは本当は無いのです。
どうせ死ぬ時には何も持って行けないのですから。
冒険とは世間体で生きるのでは無く、
他人の目の中で生きるのでは無く、
自分の本当のありのままの気持ちで生きることです。
人生を冒険として生きることを考えたとき、
やりたいことを先延ばしにして、生きる人生って、
とってもつまらないと思いませんか?
ただ毎日生きているだけの屍ですよね。
出来ることをやるのは、冒険ではないようです。
ただ才能があるだけです。
たとえ、
「おまえには無理だ」
と言われ続けたとしても、やりたいと思うものに突き進む。
それが冒険、
やる前に出来ない理由と、あきらめる理由を全て捨てる。
人の価値観に沿って、世間体に沿って、夢をかなえたって、
それって一体誰の夢をかなえたのでしょうか?
しかも、かなえたらならまだしも、多少の満足感があるでしょう。
夢が叶わない場合が問題になります、
それは自分自身の夢ではないことがあります。
他人の言った、世間の言った
山をただ言われたように登っているだけです。
これでは、あなたが奇跡を起こす
天賦の才能が開く事は一生涯無いでしょう。
心の奥底から湧き上る本当の願いは心の声。
周りの影響から表面的に出てくる浅い願い。
どちらが多いでしょうか?
命とは、まさに時間なのです。
その時間を完了させる為のスイッチが、
死なのです。
このまま死んだように生きていていいのか?
一番大切にしたい事は何か?なぜあなたはそれをやらないのか?
自分だけが良ければいいのか?
もし、
もし、
今日が最後の日だとしても、
今からやろうとすることを、あなたは行なうでしょうか?
出来るなら毎日これを考えて頂きたいのです。
もし違うという答えが、何日も続くようなら、
生き方を見直したほうがいいと思います。
それは、あなたではないから。
人は一日に考えることの90%以上が前日と同じことであると知りました。
私のココ最近を見てみました、
驚くべき事に本当に前日と考えている事が90%以上でした。
常に変えられない過去に人は生きている事が多いのです。
命のかかっている、
大切な一日のほとんどを、
もう変えられない過去のこと、
起こるかどうかもわからない、
未来の不安にあれこれ頭を悩ませるのです。
頭(顕在意識)で、いつまでも考えすぎていると、
いま、この瞬間に来ている、
ユニバースからのエネルギー、情報、流れを見逃します。
これって、とっても勿体ないですよね。
頭を空にして、新しいスペースが入る用意をしておきたいですね。
今日が人生とのお別れだと思ったら、自分の事に精一杯です
嫌な人の事を考える事も無くなり、その方の事を少しは赦せませんか?
今日が人生の最後の仕事だと思ったら、
一生懸命に仕事に向かうと思います、
手を抜く事を考えないですよね。
今日が人生の最後だと思ったら、
伝えたいと思った正直な気持ちを人に伝えようと思いませんか?
いつもよりも穏やかになって、
感情のままに周りの人に言いたいことを言うことも止めるでしょうね。
常に今日が人生の最後だと思って、
生きていると、
あなたの振る舞いや行動が変わります。
人生を本氣で、自分に素直に生きるとき、
自分の天賦の才能を活かした夢に向かう時に、
あなたを本氣で支えてくれる人との出会いが奇跡のように起こるようです。
本氣で人生に向き合う時、
希望、勇氣、感謝、赦し、愛、
そしてやすらぎの気持ちが、自然に湧き上がってきます。
週末札幌に行った時に質問されました。
「慶太さんの夢は何でしょうか?」
私は答えました。
「家庭を持って、(静かに幸せに)暮らす事」
平凡ですね〜と言われました。
確かに平凡かも知れません。
しかしですね、私は、その平凡を知らないのです。
これこそが私の未知の世界なのです。
私も人生に大きなうねりを経験しました。
この夢を叶えるように瞬間を生きます。
今日は、このような奇跡発動ワークショップ開催です。
3月20日(水・祝) ・・・やすらぎを選択する ・・・
どんな状況でも、やすらぎは存在します。
やすらぎが、あなたの人生を素晴らしく向上させます。
今回は新しく始まった奇跡発動ワークショップの最終章、
大切な人生の為に、あなたのやすらぎの創作を考えて行きましょう。
http://www.kinesiology-seminar.com/3seminar/intro/tokiakasou.html
Posted by 赦しと愛の慶太 at 06:32│Comments(0)