てぃーだブログ › 育メンパパの琉球からの癒しを「キネシオロジー」 › 墓を掘り起こせなかった、幸せ。

2013年03月17日

墓を掘り起こせなかった、幸せ。


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お墓参りに行ってきた。

お墓は画像の通りに、2M以上の雪に覆われていて、入れなかった。

雪が多くて、先祖の墓を掘り起こせなかった。

齋藤家は南樺太出身だ、だから以前の墓は一切残っていない。

齋藤家は先祖を知らない家系になっている。

しかし先祖がいたからこそ、自分は生きている。



親父と回転寿しに、親子の男二人で行った時に。

周りの光景を見ると家族連れが多いが、男二人は我々だけだった。

自分はこのような異様な光景を感じた。

弟にも来るように行ったが連絡は無かった。

もう20年も会っていないが、まだタイミングが合わないのだと思う。



親父と話した。

驚いた。

「いままでに一生懸命に仕事をした事は一度も無い」と言われた。

でも幸せそうだった。

大腸がんを患っているのに。

俺は慶太よりも幸せだと思うと言われた。

私も、そう思った。

私は真剣に仕事に取り組んできた。

しかし、幸せではなかった。

成功に向かっていた。

それは幸せと繋がる物ではなかった。

正直言って、親父のことが羨ましいと思った。

親父は本当に適当な人間だと思っていたが幸せを私よりも知っていると思った。

努力して、勉強して、経営しても幸せは、あまり無かった。

飲んだくれて、
ギャンブルばかりやって、
店を開けないで、
女とばかり遊んで、
子供をほったらかしにして、

ミートソースが異常なくらいに美味しいのに、
手を抜いて作っていた事に、驚いた。

自分が作る、ミートソースと
親父が手を抜いて作っているミートソースと、
なんら味が変わらない。

きっと親父は天才なんだ、

努力しない天才。

自分の好き勝手な事をやって生きている天才だ。

私は尋ねた。

これから10年くらい生きるのか?

親父は10年生きるのか?俺は?

私はさらに尋ねた。

何やって生きるの?

親父はこう、答えた。

毎日テレビ見て、暮らすよ。

金も無いし、金もかからないから。

それでも幸せなんだろうな。

親父としては。

こんな同じに育てられた。

一般的な典型的なダメ男だろうけれど、幸せを知っていると感じた。

だから、しこたま、人に迷惑をかけても死のうとしないのだろうと感じた。

私は最近の自分の出来事で責任を取る為に死のうとまで考えていたのに...

悩まない親父は、スゴいと思った。

だから、嫌な事はすぐに忘れるんだと思った。

この適当な人生が親父の人生であり、楽しいらしい。

驚いた。


私は、その後、札幌キネシオロジー仲間と合流した。

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札幌ビール園の海鮮とジンギスカンのグリルコースの向かった。

とても楽しかった。

腹一杯食った。

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みんな私の事件を知っていた。

みんなが暖かく私を迎えてくれた。

おごってもらった。

とても嬉しかった。

感謝した。


そして、今日はキネシオロジー練習会に向かった。

続く



Posted by 赦しと愛の慶太 at 23:08│Comments(0)
 
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