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2012年08月19日

信じられないキネシオロジーが自分の天命の仕事!

書いている最中に
感じることがあり、
取り留めの無い内容になってしまったかもしれません。
わかりにくいかも知れませんが、読んでくだされば幸いに思います。





ココ最近、自分を自身を振り返り、
TGという経営シミュレーションを通じて我が道を、より深く知ろうとしています。




【仕事とは一体なんであろうか?】

人間として、
ただ、単に、
単純に、
普通のことを普通に行なえば、
経営は成功するし、
人生はより善き状態に向かうと思う。

それが、今の私の感じていることです。



人生に変化を迎えるときに痛手を負う事もあるでしょうが、
それは一時的なもの。


痛手と言うものは一種の“氣づき”でもあるから。


最近は、このようなことに我自身が氣づき、日々を送っています。


自分が神とともにあるなら、神の命ずるままに、


日々感謝を実践する以外に方法はありません。



自分が生かされているという考えかたです。
それはたくさんの周りの方々が助けられ、いままで生きて来られたのです。

今の私の基礎的な気持ちの在り方です。

全ての方々に感謝を捧げること、
これ以外に生きている意味はないでしょう。







【仕事に関して】

自分が選択し、与えられた仕事を天職と思い、打ち込む。
これが試練や逆境さえも克服する。
嫌な仕事・好きな仕事も同じである。

自分自身が選択したのであるから、
その瞬間瞬間を大切にしてほしい。

自分の人生でも何ども苦難を感じたが、
打ち込んだときには、後で未来が開けた経験が数々ある。

しかし、今でもたびたびあるが、
挫折しそうになるときも、もちろんある。

そんなときに考え方を変える。



「ただ今の、この瞬間に打ち込む」



それは、

あなたの仕事に向かう姿勢と言うものを、
必ず誰かが見ているからだ。

もし誰も周りにいないとしよう、




それでも、かならず神様は、あなたを見ている。




この苦難を与えたときに、「どのように動くのか?」を。


苦難に対して、逃げていては成長は無い。
それはさらに自分を追い込むことになるだろう。
壁から逃げている場合には、何度も何度も壁はあなたを追撃する。



それは、

「その現状を学んでいただきたい」

という神様からのメッセージでもあるからだ。



だから不平や不満を持たずに、真剣に打ち込むんだ。

周りから見ると、
馬鹿のように見えるかもしれない、
格好悪く見えるかもしれない、

しかし、継続していると、

やがてそれは開花する、

素晴らしい考え方や人格というものが自分の中に定着するからだ。

人生に起きる全ての出来事、
自分が良いと思うこと、悪いと思うこと、
両方ともに意味があると言うことだ。

壁を越えた後に感じれることがある。


成長している自分を感じるからだ。


人間の成長力は無限大であることを
私はキネシオロジーから学んでいる。




実は私、2000年からキネシオロジーを学んでいる。

いまでは誰も信じないかもしれないが、

最初は本当に劣等生であり、
筋肉反射テストがぜんぜん出来なかった。

しかし、キネシオロジーには何か凄いものがあると
自分の内側に感じるものがあった。


だから何年間も練習した。
人の何倍練習したか?もうわからないくらいに。

いまではたまに、「天才」とか言われるくらいのときもあるけれど

実は、かなり努力をしています。

なぜなら、出来なかったから。
人よりも劣っていたから。

そのため最初の3年間くらいは、
キネシオロジーからクライアントさんの症状や運命が改善することを信じなかった。



「どうせ、また元に戻るんじゃないか?」

「人の人生を悪いほうに変えてしまうのではないか?」

「詐欺師と周りから誹謗中傷されるんじゃないか?」

「信じてもらえなく、倒産するんじゃないか?」と。



こんな疑心難儀の中、暗中模索の状態で日々、治療経験を積んでいた。

しかし、どう診ても、治らないという状態などが改善を見せていったときに、

「人間は物質以外の何かが働き、それが、その人の運命を動かしているのだ」

と氣づかされることが何度もあった。


そして自分も、キネシオロジーを3年の間、
批判と肯定を繰り返しながら、
いよいよ受け入れることになった。

幾度も奇跡としか表すことの出来ない出来事を見てしまったからだ。






「キネシオロジーは本物である」と理解した。






耐えること、努力することには大きな意味があると思う。



それは4年間の自衛隊での経験が物語っている。
(あの訓練が自分を磨き上げてくれた最初だと思う)


自分がキネシオロジーの事を、科学的にも評価できないときに、
信じられないことをやっていると思い、感じていたが、


心のどこかで信じる恐怖、騙される恐怖、

そして自分が変化する恐怖

と言うものと対峙していたのであろうと、
いまさらながら思う。


抑圧していたんじゃないのか?

と考えることもあるが、
そのように捉えないでほしい。



素直な気持ちで、物事を捉えると以下のようになる。

直感であろうと思うが確かに感じた事、



「これは...凄いんじゃないか?」



キネシオロジーに最初に出会い、体験したときのワクワク感。

これは事実だった。


しかし一般的に受け入れられるかどうかは?別物だ。


実際に経営をしたときに、世間に受け入れられない場合には
市場から退場を余儀なくされるからだ。


それから合計で12年間が経過しているが、
他のセラピーやスピリチュアルワーク、代替療法の中でも
目覚しく世間に受け入られていったものもある、

その中で消えていったものもある。


私の開業はカイロプラクティックという
目に見えるものの形から入った。

しかしどうしても治らない患者さんから
ただお金だけをもらい、リピートを繰り返す...

何度も見ていると、苦しくなったんだ。

無能、無力な自分に。



これも一種の困難だ。
予約が何ヶ月も満員になり、患者さんが以前はオフィスに溢れた。

しかし、首の痛み、腰痛が治らないクライアントの方が続発したからだ。


治療を実践していると、この苦しみを味わうことがあるだろう。



困難に直面したときには、
努力を重ね、前を向いてひたむきに進んでいく(出来るなら明るい気持ちで)



そんな時にキネシオロジーと言うものが自分の前に現れた。


神様は必ず、解決策を目の前に差し出してくださる。

しかし、それを受け取るかどうかは自分しだい。

なぜなら、生き方自体が、変わってしまうことがあるからだ。



「私は、飛び込んだ」



これが生き方だ、挑戦が我が人生、

「常にチャレンジャー」である、

この精神、運命を拓く基本である。




TG開発者 嶋崎 喜一さんからのコメント

「耐えるから希望が見えるという人と、希望が見えるから耐えられるという人がいます。
 私は後者です。希望が、目標とか目的という形になるのかもしれません。」



嬉しいお言葉、ありがとうございます。

嶋崎さんの、おっしゃられることは、まさに目標設定。
キネシオロジーの基本中の基本であり、奥義でもあることです。


私が最初に学んだキネシオロジー「タッチフォーヘルス」

「希望」は誰にもで平等にあるもの、

それを想い、生きるか、あきらめるかも、その人次第。




“明日”という漢字ですが、明るい日ですよね。



いくら辛くたって、苦しくたって、

“明日”は必ず来ます、

“明日”は“暗日”じゃないんですよ。





今日もTGに向かいます、
TGーCという最高峰に難しいシミュレーションです。

今日、何名の方に氣づきが訪れるのか?楽しみにしています。



Posted by 赦しと愛の慶太 at 08:14│Comments(0)
 
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