2012年08月15日

生きる意味を知る。

なぜ生きているんだろうか?

この問いに答える。

自分が生きている意味だ。

艱難辛苦を超え、
自分の在り方を知るため。

それも愛を持って。

自分が生きている方向性を見失っていた
この一年間あまり・・・

たくさんの方々に、ご迷惑をおかけしました。
あまりにも、申し訳のないことが多数でした。

係わり合いのあった方々、ごめんなさい。
もしよかったら赦してくださいませんか?

自分勝手な言い草ですが、
自分自身、生き方を誤っていたのです。

生きる方向性が、少しづつズレて行ってしまっていたのです。

そしていままた軌道修正を行なっています。

自分の生き方である、目標設定に向かって。



生きる意味を考えてみました。

人は生きていますが、
どのように生きているか?にかかっていると思います。

私はキネシオロジーに全てを打ち込み、
キネシオロジーとともに、この12年間を創造してきました。

そして、それはこれからも一生続くと思います。

私は打ち込めるものが見つかったのです。


生まれてくるときに人には
人生の計画書と言う、
今回の肉体を持った自分に課している生き方というものがあるらしいのです。

それには私のキネシオロジー講義で良く発言する

“天賦の才能”を開花させることが大切であり、
開花している方については、それをさらに向上させることに意味があるようです。

私は自分の“天賦の才能”について、
サイキック的な筋肉反射テストだと感じています。

それは自分が選択してきた

・虐待における事からの感情の揺れ動き
・チンピラ家庭に生まれた、逆風からの脱出
・様々な会社を首になったこと
・代替療法のスクールを首になったこと
・女性関係で揉めにもめたこと
・お金を騙し取られたこと
・離婚したこと

このようなつらい出来事も、
受け入れることにしました。

理由は、すべて、
自分が生まれてきたときに全て自分が設計してきたことであったからです。

全て自分の人生で起きたことは
自分の在り方を省みることから、
自分を成長させるために起こったことであることを理解する。

すべて起きることは必要であったし、
不必要なことは一切ないということを、やっと知ったからです。

それはつらい事も良い事も両方です。

自分が全てを創造していました。

だからキネシオロジーが出来るのです。


キネシオロジーを学んでいて、
キネシオロジーを実践していて、
キネシオロジーを人に伝えていて、

もっとも大切なことは何でしょうか?

そう、それは、愛を学ぶこと。


自分には愛を学ぶことが足りなかったのです。


愛を学ぶことが、この1年間あまり必要だったのです。

ようやく行き着きました。
今の自分の課題に。

周りの方々に、
いくら言われても、氣づくことが出来なかったのです。

それは受け入れるタイミングが来ていなかったようなのです。

ようやく自分の内側と対話できるようになってから、
見えてくることが出来るように、
皆様から頂いた、お言葉が身に、心に、魂に入ってくるようです。

ココまでのいきさつは、
神様が「慶太、もっともっと愛を学びなさい」
と言う事を教えてくださっていたのです。

それを理解せずに、
エゴによって道を歩んでいたのです。

その結果が現状なのです。

愛を学ぶこと
それが自分の必要不可欠な命題なのです。


あなたと出会えたことに感謝しています。
いつも私のことを大切に思ってくださり、ありがとうございます。

私もあなたの内側に感謝を申し上げます。



Posted by 赦しと愛の慶太 at 08:56│Comments(0)
 
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