てぃーだブログ › 育メンパパの琉球からの癒しを「キネシオロジー」 › 虐待は自分が創り上げた事実である事を理解した2

2012年08月02日

虐待は自分が創り上げた事実である事を理解した2

続きを書きます。

今日は書きたい気分なので。



ハエが、うじゃうじゃたかっている
納豆ご飯を食べれと言われ、

仕方なく箸を茶碗に伸ばした。

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ひえ~、これって、いままでハエがたくさんいたご飯だよね。
これ食べるわけ?でも食べないと、またたくさん殴られる・・・・
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食べたときの感触を今でも覚えている。

納豆が、じんわりと柔らかく、
ご飯は生ぬるく、かなりおいしくない状態だ。

父親も居たとは思うけれど、
父親のコントロールも効かない状態の義母のため、
しかたなく、どんどん口に運ぶ。

そこから先は全く覚えていない・・・・・

が、

生まれたものがあった。

義母に対する恨みつらみが増えていった事を。


そうして感じた事、

「いつか殺してやる」

だった。



その母が、
かなり高額の商品を買ったり
周りの人にプレゼントをしたりしていた。

「家はお金もちなんだ」と勝手に解釈していたが、
それは全てが父親保証人の借金であった事が、数年後に私が理解する・・・




血のつながりの無い自分は来ている服もボロボロなのに。
周りの人々には、優しく振舞う。

かなり不思議に思った、
なぜこんな事が出来るのであろうか?と。



やがて小学校高学年になってくると様相は変化する。

私の体が大きくなってくるからだ。

そうすると女性である虐待母も考えるだろう。

「やばい」と。

こちらは「いつか殺してやる」と思っていたんだ。
ずっとね。

そうして11歳の時に突然、居なくなっていた・・・・
なんの前ぶれも無く・・・・・

何があったのかは?父親は口にしてくれなかった。



このころの自分は義母のことを大っ嫌いなのに、
「美人なママ(義母)」と言うようになっていたと思う。

お世辞でも言わないと、殺されかれないからね。
これが自分の防御反応だ。(本当は違うと思っていても)




やがて日が経ち、
私が高校生のころに札幌駅から野幌駅に帰ろうと

汽車に乗った時に、ババア(義母)を発見した。

電車の入り口に見知らぬ男と一緒に立っていた。


瞬時に思った、


「てめー、ぶっ殺してやる」


続く




Posted by 赦しと愛の慶太 at 21:26│Comments(0)
 
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