てぃーだブログ › 育メンパパの琉球からの癒しを「キネシオロジー」 › 虐待は自分が創り上げた事実である事を理解した1

2012年08月02日

虐待は自分が創り上げた事実である事を理解した1

虐待について何だけれど、
実際に6歳から11歳まで、
ヤクザの手下のチンピラ環境で育った自分が居る。

昨日の花火大会の帰りに氣づいたことがある。

それは、なんと

虐待の育ての母と
自分のまわりの環境が一緒だという事を。

遅すぎた、この理解・・・・・

虐待母に痛い目に本当にあったのであるが、
その母は本当は愛そうと思っていたと思う。

だが、しかし受け入れなかったのは自分なんだ。

だから、心の中の表現が表に出てきたんだ。

嫌だ、嫌だ、イヤダーを続けていった結果
生まれた物が『虐待』だったんだ。

それは誰も簡単に分からないと思う。


自分の振る舞いだ、母に対する。


叩かれるから、叩かれないようにするために
良い子を振る舞う。


ごはんにありつけない事もあるから、
仕方なく自分を殺して良い子にする。

人の前で、「なんでこの子は!」といつも怒られる。

たとえば自分の思った振る舞いをしたときに
それは起きる、ようするに気に入らない振る舞いがあると
後で怒濤のように怒られる。


例として真実を伝えよう

自分が、その町の虐待されている有名な子供だった。
ただし、いぜんは子供110番も無いからね。
助けてくれる周りの人はほとんど居なかったんだ。




そんなときこんな事があった。

隣のおばさんが、
新しくオープンしたラーメン屋さんに連れて行ってくれた。
確か100円だったと思う。

嬉しくて嬉しくて着いていった。

そして食べたラーメンが美味しくて、とっても嬉しかった。

しかしその後、急転直下の事実が自分を襲う。

実は納豆ご飯があったものを食べずに投げ出し、
おばさんのやさしさに惹かれて、着いていったんだ。

家に帰ってから、
虐待母(残念ながら名前も覚えていないが誕生日は1月17日だったことを覚えている)が、

怒りカンカンで、仁王立ちしていた。

「どこに行っていたの?」

かくかくしかじか話した。

「この納豆ご飯、どうするの?」

その納豆ご飯を見ると、ショックだった。

ハエが、うじゃうじゃたかっていた。

虐待母は私に伝える

「それ食べなさい!」



ごめんなさい、ココまで書いたけれど
オーストラリアのしのぶさんが来ましたので、
一時中断します。






その母が、
かなり高額の商品を買ったり
周りの人にプレゼントをしたりしていた。

血のつながりの無い自分はボロボロなのに。

やがて小学校高学年になってくると
様相は変化する。

体が大きくなってくるからだ。

そうすると女である虐待母も考えるだろう。

「やばい」と。

そうして11歳の時に突然、居なくなっていた・・・・
なんの前ぶれも無く・・・・・





Posted by 赦しと愛の慶太 at 10:19│Comments(0)
 
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