虐待は自分が創り上げた事実である事を理解した 最終回
虐待は自分が創り上げた事実である事を理解した3
http://ameblo.jp/1kine/entry-11322821629.html
ようやく、この続きを書く時が来たようです。
私を虐待していた継ぎ母に
札幌駅から江別に向かう汽車(電車)の中で、
4~5年ぶりに、
突然、
遭遇しました。
あの頃の汽車は入り口から、
すぐに座席のほうに向かうように出来ていなく、
こちらで言えば、新幹線のように入り口のドア、
そして座席に向かうドアの、ふたつになっているのです。
(寒冷地帯のために、このような措置が取られているのだと思います)
汽車の最初の入り口に
見知らぬ男性と居た、
継ぎ母に氣づいた私。
私を、ちらっと見た、継ぎ母。
私は、いきなり出会った継ぎ母に驚きを隠せなく、
すぐに次のドアに向かい。
空いている座席に腰を下ろし、
自問自答しました。
『自分の人生を大いに苦しめた標的が目の前に現れた』
『積年の恨みを、今ココで晴らすときが、いよいよ来た』
相手も私に氣づいています。
今までの、つらく苦しい思いを巡らせた。
汽車も、まだ動いていない。
意を決して...
いや、
意を決するというよりも、
ただ、
ただ、
継ぎ母の元に向かっていった...
この間は、きっと1分間も無かったと思う。
すると!
継ぎ母は、見知らぬ男とともに消えていた。
私は汽車から降りホームも見渡した。
継ぎ母の姿は、もうそこには無かった.....
だったら、くまなく
汽車の中を探そうと思ったときに、
すぐに私に問いかける言葉が、やってきた。
「何をする氣だ、慶太!」
こんな声が聞こえたような氣がした。
座席に戻った。
そこから自問自答した。
「本当に殺そうと思ったのか?」
「継ぎ母を殺して、自分が満足するのか?」
「殺したら、自分の人生は、どうなってしまうのか?」
やがて、汽車は動き出した。
傷ついて、
傷ついた、
人生を送ってきた私ですが、
あの頃の自分には、見えなかったし、
わからなかった事が、たくさんあります。
人生とは、自分が選択したものであるということ。
どんな人生であっても。
どんなに苦しい人生であっても。
そこに生まれ、
そこに育ち、
そこから旅立ったのも、
自分自身。
虐待経験者は、理解できると思いますが、
本当に、つらいものだと思います。
しかし、
それも自分が選び、
肉体を持つ人生を選択したのは、
紛れも無い自分自身です。
実は、継ぎ母の名前を思い出しました。
「明美さん」と言います。
お誕生日は、確か1月7日だったはず。
明美さんは、本当に私を虐待したかったのでしょうか?
きっと20歳代後半と言う年齢で、
いきなり、
血のつながりの無い男の子の親になるのです。
子育ても、わからないでしょう。
しかも、たくさんの女性が入り乱れた
私の家庭に居付いて下さった方なのです。
明美さんは私にとって
感謝すべき人物だと思います。
なぜなら、
理由を話しましょう。
スピリチュアル領域満載でお話しするので、
理解できないかもしれませんが、ご了承ください。
彼女は私の人生において、経験と言うものを与えてくださったのです。
大切な方なのです。
神様は、明美さんに頼んだのです。
「慶太の、これからの人生のために、嫌な役をやってくれないか?」と。
明美さんは、きっと断ったと思います。
「そんな嫌な役をしたいわけが無いじゃない、しかも5年間も!」
神様は、さらに願ったのです。
「おっしゃっていることは、良くわかりますが、
あなたしか居ないのです、その役を出来るのは」
「慶太のこれからの素晴らしい人生経験を与えるためにも、
是非お願いいたします」
神様は、何度も何度も頼んだことでしょう。
かなりの無理を言ったと思います。
やがて、明美さんは、
その嫌な役、悪役を受け入れてくださったのです。
慶太の人生の為にである、
キネシオロジーを、やがて慶太に伝えるためにも、
いまここで自ら嫌な役を行なわなければならなかったのです。
きっと、
このような契約が、
神様と明美さんの間で行なわれたのだと思います。
もし、この虐待経験が無かったら、
私はキネシオロジーに興味を持ったでしょうか?
「はっきり言って、もちませんでした」
いま、こうしてキネシオロジーを、
日本で先立って精力的に情熱を持って行なえるのも、
全ては明美さんのおかげなのです。
人生と言うものは、
すべて、
生まれてくる前の
人生計画、人生設計図、人生のプログラミングを行なった後に、
生まれる前の魂の世界から、
肉体を持つ世界に向けて、
発信され、
それを神様が天空から見ているようなのです。
人生には様々な役者の方や、エキストラの方が居てくださいます。
私の人生の中でも、
強烈に
素晴らしい役者として
演じてくださったのは、
明美さんです。
もし、これから
明美さんにお会いすることが
あるのであるなら、
感謝を伝えようと思います。
「自分を育ててくださりまして、ありがとうございます」と。
明美さんの役割が無かったのならば、
今の私のキネシオロジーの地位は無かったのです。
恨むことは、もう止めましょう。
それよりも
日々に安らぎを感じて、
自分を赦し、相手を赦して、
暮らしていきましょう。
我々には、
愛を学ぶことが、
最も大切だと思うのです。
このストーリーは、
もうずいぶんと昔のことです。
私は、この件に関して、水に流してしまいました。
(申し訳ないですが、笑い話にして良いくらいです)
だってね、
あれだけ毎日、迫真の演技で、
私を叱ってくれたのですから。
感謝以外に言える事は無いのです。
もし、
もし、
もし、
このブログの内容を読んだり、
このことを知ることがあったなら、
私宛に、ご連絡を下さらないでしょうか?
私が明美さんの所在を知っているなら、
連絡できるのですが、残念ながら父も知らないそうなので。
もし現在も、北海道にいらっしゃるなら、
お会いしたいと思っていますので、
ご連絡を下さらないでしょうか?
連絡先:キネシードライト株式会社
電話番号:0456621456
ホームページ(こちらに、あなたの息子である、慶太が載っています)
http://kinesiology.co.jp/
私は明美さんから愛を学びました。
ここに来るまで、30年間という年月も、
かかってしまいました。
私の氣づきが遅くて、本当に申し訳ありませんでした。
私は、今、実践しています
苦しみから逃れられない方々に、
苦しみから解放されない方々に、
病気や痛みが改善されない方々に、
“救いの手”としての
“氣nesiology” を行なっているのです。
これが、我が人生の在り方なのです。
私の人生の大きな障壁を授けてくださった、
明美さん、本当にありがとうございました。
愛を学び、そして愛と受け取り、愛を伝えることが
私たちの人生なのですから。
齋藤慶太