虐待は自分が創り上げた事実である事を理解した3
今にして、思う事。
キネシオロジーという不思議なワークに出会い、
それまで自分が虐待されていた事実に氣づかずに生きていた我が人生でした。
なぜ?
と思うでしょうけれど、
毎日毎日、叩かれていると、それが日々の事なので、
それが普通になってしまうのです。
そのために自分が他人に対する振る舞いについても同じようになってしまうのです。
ある日、生みの母親に尋ねて見たことがあります。
一緒に住んでいたときには、自分にどもりがあったのかどうか?
生みの母親はきっぱりと「無かった」と申していました。
虐待の事が根強く自分に刻みこまれているのでしょう。
そこから自分のどもりが始まり、今でも、同じようなシチュエーションが起きると
同じように、どもりが出るようです。
教育キネシオロジーブレインジムの開発者である、
ポールデニソンさんも、どもりの方です。
かなりつらい人生を過ごされていた事も関係していると思いますが、
セミナーのインストラクターをしているときにも
話している言葉がわからない人も大勢居るようですが、
愛が深いために、誰もそれについて文句を言ったりしないのです。
それはなぜなんでしょうか?
醸し出すエネルギーが素晴らしいのです。
ですから、どもりで内容の全容がわからなくとも、
文句などをあまり言われたりしないようなのです。
言葉だけで伝わるわけではないのが、
ここに現れているようです。
(私も愛に溢れるキネシオロジストになる予定です!)
同じように早口についても同じです。
恐怖や不安から出てくるものなのです。
ですから早口になって話しているときには、
私の場合には自信が無い内容や
受け入れてもらえないと思ったときなんかは、
焦りから早口になったりするようです。
【では前回の続きに入ります】
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汽車に乗った時に、ババア(義母)を発見した。
電車の入り口に見知らぬ男と一緒に立っていた。
瞬時に思った、
「てめー、ぶっ殺してやる」
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野幌駅から遠く30分は、ゆうにかかる江別の田舎に徒歩で帰宅したときに、
父親も、帰宅していたために、すぐに伝えた。
(いま正直に告白しますが、小学生時代に借金に負われ、
一度、一家心中をトライした事もある父親ですが、私が止めました)
((父親は凄いイケ面で女性にモテますが、かなりだらしない為に、私はかなり苦労しました))
慶太:「おい!ババアに会ったぞ!!!」
父親:「会ったのか(汗)」
「どこであった、それで、どうした!?」(顔面蒼白)
この頃の私は、血気盛んで、
「あのババアにあったら、ぶっ殺す、どこに居るんだ!教えろ!!!」
と父親に喰ってかかる事が多かったのでした。
きっと父親も私の日々の言動を知っているために、
かなりヤバイと感じていたのでしょう。
この時に何が起きたのか回想しましょう。
つ
づ
く
・・・・・
この内容は本当は書く私もつらい内容なので
あまり長編にしたく無い内容で、本当は第三話で完結しようと思ったのですが、
終わる事が出来ないようなので、どこまで続くかわかりませんが、
気が向いたときに続きを書いていく事になります。
(あまり期待しないで下さいね)
そう、ちなみに今はあのときのような
血気盛んな私ではありません。
愛に溢れ、日々に安らぎを感じて生きている
キネシオロジーに情熱を持つ、
ただのひとりのふつ~の日本人ですから。
私にお会いする前から、
勝手に間違って解釈しないで下さいね(笑)